大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和43年(ワ)13913号 判決

原告

宗教法人

千潮金刀比羅宮

右代表者

能円坊茂

右訴訟代理人

宮本正美

被告(亡簑輪正信訴承継人)

簑輪昭子

外五名

右被告ら訴訟代理人

戸田謙

外三名

主文

被告らは原告に対し、別紙物件目録二記載の建物を収去して、同目録一記載の土地を明け渡し、昭和四一年八月二三日以降右明渡済みに至るまで一月二四六〇円の割合による金員の支払をせよ。

訴訟費用は被告らの負担とする。

この判決は、原告において二〇〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一争いのない事実

請求原因1、2の事実〈編註、原告の由来と原告の所有地の変遷〉は、旧水天宮が昭和二一年八月一日かぎり解散と看做された結果、以後清算法人として存続したか否か(請求原因1、ハ、抗弁その一、1、イ)の点および水天宮所有の旧五三番四のうちD地と東京都所有の五三番五(EFG地)との交換の理由(請求原因2、ロ、抗弁その一、4)の点を除いて、当事者間に争いがない(なお、〈証拠〉によれば、右EFG地は、もと東京都所有の旧五三番二公設市場敷地のうち一畝を分筆して五三番の五とし、これを水天宮所有の旧五三番四のうちD地と交換したものである)。請求原因3のうち相続および占有の関係は当事者間に争いがなく、昭和四一年八月二三日以降の本件土地の賃料相当額が月額二四六〇円以上であることは、後記(二、4、イ)認定事実によつて知ることができる。よつて、以下、抗弁について判断する。

二抗弁(その一)賃貸借契約の存在について

1  旧水天宮、水天宮、原告(千潮金刀比羅宮)および橋戸稲荷神社についての概要

原告の由来およびその所有地の変還については、一応、前述(一)のとおりであるが、本件の事実関係を明らかにするには、なお標記諸神社の所在、所有地、社殿建設の経過を概観しておくことが必要である。

〈証拠〉を総合すると、次のとおり認めることができる。

イ  東京府南足立郡千住町大字千住中組三一七番地(現在の東京都足立区千住橋戸町八七番地一)に、明時治代から旧水天宮(名称はほんらい水天宮であるが、昭和二九年三月宗教法人法により新たに設立された「水天宮」と区別するため、以下とくに「旧水天宮」と呼ぶことにする)があつた。同所の土地八五坪一七がその所有であつたが、池の中に小さな祠があるのみの無格社で、神社は南千住の山王神社の宮司が兼ねていた。周囲は隅田川北岸の湿地帯で、満潮時や降雨による増水時などには水の中に孤立した祠が浮かび上がり、崇敬者は膝まで水に漬りながら参詣する有様で、浮島金刃比羅様の名があつた。昭和一四年能円坊茂が父の跡を継いで山王神社の宮司となると同時に旧水天宮の社宰(神主)を兼ねることとなつたが、旧水天宮は同一八年その所有地を東京都と交換して、従来よりやや北寄りの位置にある千住橋戸町旧五三番四に境内地を定めることとなつた。能円坊は同年中に応召して成増の航空隊本部に勤務し、同二〇年一一月復員した(その応召中、同人と従兄弟の関係にある石山多気乙が社宰を代行した)が、この間、旧水天宮の社殿は同年四月一八日の戦災で焼失した。戦後しばらく、そのまま放置されていたが、同二三年四月一〇日、小さな社殿と鳥居が再建された。附近には後述(2、イ)の鵜沢の建てた家のほか建物もなく、境内地の境界はすこぶる不明瞭であつた。

ロ  千住橋戸町には、南北に通ずる日光街道(国道四号線)を挾んで、東側の五三番に旧水天宮ないし水天官、西側の二五番に橋戸稲荷神社があつて、この間数百メートルを距てているが、両社とも神主は山王神社の宮司である能円坊が兼ねていた。旧水天宮ないし水天宮の所有地は旧五三番四境内地二畝二二歩のみであつた(のちD地が都有のEFG地と交換された)が、橋戸稲荷神社の所有地は二五番境内地二七二坪のほか、その南側に接して隅田川との間に二七番宅地三〇坪および二八番境内地一二七坪四があり、そのうち二五番の土地のみが現実の境内地をなしたのに対し、二七番と二八番の両地は町内の江尻某の占有下にあつた。

ハ  昭和三四年二月末頃、橋戸稲荷神社の境内(二五番)の北側の旧神楽殿の跡地に、甲一〇号証の一の写真に見るような社務所兼橋戸町自治会集会所が建設された(一階に橋戸稲荷神社の祭具を納め、二階は神楽の舞台と集会所になつている)が、この建物は自治会の会則内規上「橋戸町会館」と名付けられ、町民からもしばしばその名をもつて呼ばれている。

ニ  昭和四一年一〇月二九日、水天宮とこれに隣接する東京都中央卸売市場足立市場内の千潮稲荷とを合祠して、原告(千潮金刀比羅宮)が設立されたが、合祠にあたり、水天宮の本殿、拝殿は敷石まで含めて橋戸稲荷神社へ運ばれ、御神体と土地のみが残されたので、その跡に、新たに選任された原告の総代の手で、甲一〇号証の二の写真に見るような簡素な社殿が再建された。その敷地は大部分足立市場内のD地(EFG地と交換のため旧五三番四の八二坪から分筆された同番八の宅地三〇坪)に属するので、原告は東京都から一年毎の使用許可を得て現在に至つている。

2  当初の賃借権の成立について

イ  〈証拠〉を総合すると、次のとおり認めることができる。

千住橋戸町の町内には、前述のとおり橋戸稲荷神社があり、また旧水天宮があつたが(その規模は前者が遙かに大であること前述)、戦前から神主も共通であり、町の神社という意識で、その世話は町会の仕事のうちと考えられていた。もつとも戦後、町会は禁止されたが、当時の占領政策によることで、神社の祭礼の際などに現われる一種の共同生活体的意識までが消滅したわけではなく、住民の生活集団としての組織である町会は、神社の世話をする関係では神社講(神山伝兵衛がその「会長」であつた)として存続した。こうした中で、旧水天宮の社殿の再建が神社講によつて企てられたが、その資金の一部を捻出するため、旧水天宮(別名、金比羅神社)境内の空地となつていたAE地を、(神山病弱のため)小野寺信平および下川金蔵の両名が責任者となつて、鵜沢儀平に対し、建物所有の目的で、権利金坪あたり四〇〇円、賃料坪あたり月一円の約定で、期間の定めなく賃貸した。この賃貸借にあたり、AE地は地積七〇坪として扱われた。その契約書(乙一号証)の記載の形式は不備であるが、賃貸の主体は神社講であり、賃料の支払先はその会計係とされていた。この権利金約三万円を資金の一部として、昭和二三年四月一〇日、旧水天宮の社殿と鳥居が完成した(工事費約一三万七〇〇〇円であつた)。神主の能円坊は、以上の経過に関与した形跡がなく、社殿竣工後に呼ばれたのみであつた。

ロ  被告は、当時A地を含む旧五三番四は旧水天宮の解散により神社講(橋戸講)の所有に属した旨を主張する。旧水天宮が昭和二一年八月一日かぎり解散と看做されたことは前述のとおりであるが、法令上解散と看做されたからといつて、即時法人格の消滅を来すべきいわれはなく、旧水天宮は以後清算手続に入り、その結了に至るまで清算法人(清算人、能円坊)として存続することとなるのであるから、被告の右主張は失当である。なお、旧水天宮の財産がうちに宗教法人法により設立された水天宮に承継されたことは、前述(一)のとおり当事者間に争いのないところであつて、旧水天宮の財産が解散により第三者(神社講)に移り、これが再び宗教法人法による水天宮に移転したというのも、理由のないことである。

ハ  前述(イ)のとおり、神社講と鵜沢との間に賃貸借契約の成立が認められるが、その目的地のうち、A地は清算法人たる旧水天宮、E地は東京都の所有であつたから、右は他人の物の賃貸借にほかならない。そしてA地については、その所有者たる旧水天宮(清算法人)は、宗教法人令一七条・民法七三条により「清算ノ目的ノ範囲内ニ於テ」のみ存続するのであり、しかも右賃貸につき清算人たる能円坊の関与すらないのであるから、神社講にA地の賃貸権限のなかつたことが明らかであり、また都有地たるE地についてその権限があつたことについては、なんら主張・立証がない。

よつて、鵜沢は、賃貸借契約締結の事情いかんに拘らず、その取得した賃借権を土地所有者たる旧水天宮および東京都に対抗しえないものであつて、鵜沢から賃借権の譲渡を受けたという加藤および簑輪正信についても、ことは同様であるといわなければならない(承諾の有無については判断の必要がない。追認の主張については後述)。

3  一二坪の貸増しについて

イ  〈証拠〉を総合すると、次のとおり認めることができる。

昭和三二年四月千住橋戸町自治会が発足し、翌年会則も正式に定められたが、これによると、町内居住者等を会員として、会員相互の親睦および福祉増進を図り、併せて町内神社の「管理」をも行うとの趣旨であつた。自治会は、その発足記念事業として、他の町の集会所と釣合いのとれた集会所(兼神社々務所)の建設を企てたが、その構想の基本は水天宮(五三番)を橋戸稲荷神社(二五番)に合祀することにより、水天宮の境内地の全部をAE地の賃借人である簑輪正信に貸与して、資金を捻出しようとするものであつた。当時、自治会の役員は水天宮の境内地が繩延によりなお五〇坪くらい残つているものと考え、正信との間で、坪あたり四万円、五〇坪分の計二〇〇万円の権利金でこれを貸与することを約定し、同三二年末にはその内金として七〇万円を役員(粉川銀次郎)が正信より受領し、集会所建設の計画を進めたところ、翌三三年になつて隣接足立市場の分場長から、賃貸予定地に市場の敷地が含まれているとの故障が申し立てられ、すべての計画が頓挫した。その後自治会内部で種々紛糾の末、同三三年九月頃、正信の賃借地であるAE地に隣接するBF地を一二坪として、権利金坪あたり四万円の計四八万円で正信に賃貸し、前渡金七〇万円との差額二二万円を返金するとの約定が成立した。二二万円は同年末、自治会の役員の責任において返済された。集会所は同年一二月初め二〇〇万円の予算で着工され、翌三四年二月末頃、社務所兼橋戸町会館として竣工した。

ロ  被告は、水天宮の代表役員である能円坊が右貸増しの契約を事実上承認していたとの趣旨を主張するが、これを認めるに足る証拠はなく、かえつて〈証拠〉によれば、昭和三三年八月二四日、集会所建設のため自治会役員が北千住の山王神社に能円坊を訪れて初めて打合せの機会をもつたところ、能円坊は、橋戸稲荷神社も水天宮も宗教法人としてそれぞれ独立の存在であり、水天宮を廃止することも他に合併することもできない、橋戸稲荷神社の境内地に予定されていて集会所兼社務所の建設は、橋戸稲荷の境内地を広く占拠している江尻との関係をはつきりさせ、同人から資金を出させて行なえばよい、境内地に出来る集会所兼社務所はあくまで神社の所有としなければ違法である、土地は神社の基本財産で法的に処分できない、ただし、神社役員の議決を経て地目を境内地から宅地に変更する申請をし、これが神社本庁によつて承認されれば賃貸は可能である、BF地を貸すことはできぬ、との意見を述べたことが認められる。

ハ  被告は水天宮の責任役員のうち三名が自治会の役員(建設委員)たる資格において右貸増しの決定に関与した旨を主張するが、そのいかんに拘らず、右の貸増しは代表役員たる能円坊の明確な反対を無視してなされたもので、BF地の貸増しを約定した契約当事者(賃貸人)は橋戸町自治会以外のものではありえない。そしてB地は水天宮、F地は東京都の所有であるから、AE地についての当初の契約と同様、他人の物の賃貸借にほかならず、自治会にB地の賃貸権限を肯認すべきなんらの証拠も存在しない(前掲乙九号証の自治会々則には「神社の管理」云々の文言があり、これに関連する規定があるが、宗教法人たる神社所在の町の自治会々則にかかる規定を設けることによつて神社所有財産に対する管理権を生ずべきいわれはなく、その意味は、たかだか、町民が同時に所在神社の氏子と観念される沿革からして、祭礼その他神社の事業に協力し、その世話をするとの趣旨を出るものではない)。F地についてはかかる権限の存在についてなんら主張・立証がない。よつて正信は、その主張する貸増契約締結の事情いかんに拘らず、BF地について取得した賃借権を土地所有者たる水天宮および東京都に対抗しえないものである。

4  賃貸借の更新について

イ  〈証拠〉によると、昭和三五年中に、橋戸稲荷神社総代代表粉川銀次郎および橋戸町自治会々長福澄福太と簑輪正信との間において、AB地およびEF地を改めて正信に賃貸する旨の契約書が取り交わされ(従前の契約は期間の定めのないものであつたから、「更新」の用語は必ずしもあたらないが、被告のいわゆる更新契約がこれである)、期間は同年四月一日から二〇年、賃料は坪あたり三〇円として毎月末日かぎり自治会神社会計係へ支払う約であつた、との事実を認めることができる。

ロ  被告は、右契約は水天宮の代表役員たる能円坊およびその他の責任役員三名の一致した意思に基づいてなされたもので、前記粉川および福澄の両名は水天宮を代表して契約を締結したものである旨を主張するが、これを肯認すべき証拠はなんら存在しない。右「更新」契約も、しよせん、橋戸町自治会が従前ABEF地についてした他人の物の賃貸借を、自治会長に橋戸稲荷神社総代が加わつて再確認したものにすぎない。粉川が同時に水天宮の責任役員であつたことは当事者間に争いがないが、この点を勘案してもなお、自治会役員と神社総代とが緊密な関係にあつたとする被告の主張の一証左となりうるにとどまり、これにより契約当事者として水天宮が登場することにはなりえない。よつて、正信は、右契約により新たに取得した賃借権をもつてしても、土地所有者たる水天宮および東京都に対抗しえないことは、なんら従前と異なるところはない。

5  水天宮境内地と都有地との交換について

昭和四〇年八月二三日、水天宮が旧五三番四のうちD地(分筆により五三番八となる)を東京都所有の旧五三番二のうちEFG地(分筆により五三番五となる)と交換したことは、前述(一)のとおりである。被告は、右交換はEF地の賃貸人たる水夫宮において正信に対する賃貸借契約上の債務を完全に履行するためになされたものである旨を主張するが、水天宮は賃貸人でなく、正信に対してなんら賃貸借契約上の債務を負担したものでないこと前認定のとおりであるから、正信が右交換によりEF地につき所有者たる水天宮に対抗しうべき賃借権を取得した由の被告の主張は、もとより失当というべきである。

6  水天宮境内地の地目変更について

〈証拠〉によると、本件土地の使用の問題に関して、能円坊の署名のある書面が正信に手交された事実を認めることができる。しかし、その内容は本件全証拠によつても明らかでなく、その形式が果して被告主張のような「念書」であつたか否かの点についても、これを肯認すべき適切な証拠は存在しない。

7  追認について

BF地の貸増しおよび本件土地全部についての賃貸借の更新が水天宮としての追認を物語るものである旨の主張(イ、ロ)の理由のないことは、前記(3、4)認定によつて明らかである。

次に、水天宮境内地と都有地との交換および本件土地の地目の変更が水天宮としての追認を意味する旨の被告の主張(ハ)について見るのに、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

昭和三五年一〇月下旬、橋戸町自治会は足立市場分場長から、正信に賃貸中のEF地は市場の敷地である旧五三番二に属する都有地であるから至急返還されたい旨の通知(甲五号証の一)を受け、調査の結果、これが都有地であることが判明した(なお、正信の経営する千住食品あてにも同様の返還要求がなされたが、千住食品に対してはその後、同三九年四月八日付内容証明郵便をもつて、東京都知事から建物収去・土地明渡しの要求がなされている)。そこで、自治会としてもEF地を正信に賃貸してきた関係から困却して能円坊に相談した結果、同四〇年三月一九日、能円坊の起草した甲八号証(「土地賃貸借契約更新解除方要望について」と題する書面。その末尾に確認の趣旨で、代表役員能円坊およびその他の責任役員三名の記名または署名・捺印がある)を、自治会長中野美、前会長福澄福太の連名で、正信あてに送達した。その内容は、AB地は水天宮、EF地は東京都の所有で、正信と「自治会との契約は法的にも根拠がなく……無効であることが判明」したので、その解決のため、(一)水天宮はその境内地の一部を都有地の旧五三番の二と交換して、市場内の千潮稲荷を合祀し、(二)東京都との間の土地問題の解決後、「法規の手続を経て」正信との間に「正規契約を締結する道を考慮する」旨を提案したものであつた。

水天宮と東京都との土地交換は、その後間もない同年八月に実現したものであつて、この交換をもつて正信の安定した賃借権の行使を保障するためのものであるとする被告の主張は、とうてい採用し難い。なお、被告は地目変更についても併せて主張するところがあるが、〈証拠〉中、D地についてのみ非境内地とすべきところ、都の管財部の職員に事務の取扱いを任せたため、D地を含む旧五三番四の全部について非境内地(宅地)となる手違いを生じたとする部分は、これを排斥すべき根拠もなく(五三番五は、地目「公設市場敷地」である旧五三番二から分筆の際に宅地とされたもので(前掲甲四号証の三参照)、「境内地」からの地目変更とは同日に論じえない)、土地交換に関する前記認定とあわせて、被告の主張は採用できない。

追認に関する被告のその余の主張(ニ)のうち、ビール各一打三回分の届物については、〈証拠〉により認めることができるが、〈証拠〉に照らし、これが追認の効力を有する旨の主張はとうてい採用し難く、その余の点はこれを肯認するに足る適切な証拠がない。

8  以上認定するところによれば、契約による賃借権の取得についての被告の抗弁(その一)はすべて理由なきに帰する。

三抗弁(その二)賃借権の時効取得について

1  時効取得される権利の相手方

土地の継続的な用益という外形的事実が存在し、かつ、それが賃借の意思に基づくことが客観的に表現されているときは、民法一六三条に従い土地賃借権の時効取得が可能である、とすること判例である。そして、一般に、甲所有の土地を乙がほしいままに丙が暗効期間を超えてこれを占有した場合、丙は甲に対する関係において賃借権を時効取得するか、換言すれば、その実質において丙は乙から得た賃借権をもつて所有者甲に対抗しうるか、これが本件に現われた時効取得の問題点である。この点につき原告は、賃借権の対人権(相対権)たる性質上、被告(丙)が時効取得を主張しうる債権関係の相手方は橋戸町自治会(乙)たるにとどまり、この関係の相手方でない原告(甲)には時効取得を主張しえないとするのであるが、立法の沿革および実定法の規定上、前記の場合に、時効による丙の甲に対する賃借権の取得を否定すべき根拠は見出だしえない。もつともかかる場合、丙が甲に対する関係において権利を取得するというのは、あたかも真実の所有者たる甲の保護に欠けるところがあるように見えないではない。しかし、その結果は、いわば時効制度一般の論理的帰結にほからなず、所有者甲の利益の保護は、丙につき要求される権利行使の平穏・公然性および甲がほんらい自己に対抗しえない丙の権利行使の継続を有効に阻止しうべき時効期間の法定により担保されるものというべく、甲がその権利の上に眠らないかぎり、なんら保護に欠けるところはない。よつて、以下、被告の主張につき検討する。

2  AE地について

a  昭和二三年三月三日、鵜沢儀平が神社講(その責任者、小野寺、下川)よりAE地を賃借したことは、前記(二、2、イ)認定のとおりで、特段の事情の認められない本件においては即時その占有を開始したものと認めるのが相当である。〈証拠〉によれば、その後AE地の賃借権は鵜沢から加藤某および神田(または風間)某を経て簑輪正信に譲渡され、順次その占有を承継した事実が認められる。被告は前主の占有をも併せて主張するのであるから、その瑕疵をも承継することとなるところ、本件において審究すべき鵜沢の善意・無過失は、AE地の所有者たる旧水天宮および東京都に対する関係において賃借権を有効に取得したと信じ、かつ、かく信ずるにつき過失がなかつたか否かをいうのであつて、〈証拠〉および鵜沢の賃貸借に関する前記認定の事実関係に照らし、その善意・無過失を肯認しえないことは疑問の余地がない。

b  被告は正信が占有を開始したのは昭和二六年一一月一六日であると主張するが、これを認めるべきなんらの証拠も存在しない。そしてこの点を暫く措くとしても、〈証拠〉によれば、正信がその占有を承継するにあたり、神社講との間に特段の折衝が行なわれたわけではなく、占有権原の証左として乙一号証の引継を受けたにとどまることが窺われるから、他に特段の事情の認められない以上、正信の善意・無過失を肯認しえないこと、鵜沢におけると同断であるとするほかはない。

c  正信は前述のとおり鵜沢より加藤等を継てAE地の占有・用益を承継し、その死亡(昭四四・四・三〇)に至るまでこれを継続したもので、この間の賃貸借契約上の権利の行使が鵜沢その他を含めて平穏かつ公然になされたものであることは、本件全記録に徴してもなんら反証の存しないことからして、肯認することができる。これによると、鵜沢が用益を開始した昭和二三年三月三日から二〇年を経過した同四三年三月三日をもつて、正信のため時効が完成することになる。

3  BF地について

正信が昭和三三年に橋戸町自治会からBF地を賃借したことは前述(二、3)のとおりであり、その前年末に七〇万円を支払つた経緯からして、BF地の占有開始の時期が同三二年末であることを窺いえないではない。しかし、正信の善意・無過失を肯認すべきなんらの証拠も存在しないのみならず、〈証拠〉によれば、正信は右七〇万円の支払をする際において、すでに目的土地につき種々むずかしい問題の存することを聞知し、その支払を躊躇したことが認められるのであつて、BF地についての時効の主張は失当である。

四再抗弁について

1  〈証拠〉によると、次の事実を認めることができる。

昭和四〇年三月一九日、前認定(二、7)のように、自治会から正信あてに甲八号証(土地賃貸借契約更新解除方要望について)による申入れがなされたのち翌四一年一〇月二九日、水天宮に足立市場内の千潮稲荷が合祀されて千潮金刀比羅宮(原告)となつたが、その際、(能円坊を除く)原告の責任役員も一新され、金井茂蔵、一瀬儀助、石鍋政吉、長谷崎某らが就任した。同四二年一一月一六日、原告の代表役員能円坊および右四名の責任役員が市場内の千住北魚株式会社に集まつて、正信と協議の機会をもつたが、その内容は、原告側から、正信の占有している本件土地は原告の所有で、自治会から借り受けた正信は無権限であるので全部原告に返還されたい、ただし、従前使用の経過からして正信の立場をも考慮し、内三〇坪を改めて正規の手続により賃貸することにしたいがいかん、との申出をしたのに対し、正信が考慮のうえ回答する旨を約して別れたものであつた。しかるに正信はその後なんら回答しないまま本件地上建物の改築を強行した(建築確認の日は同年一一月二八日)ので、原告は同年一二月二三日付同日到達の内容証明郵便(甲一号証の一)をもつて、建築強行の停止を申し入れ、翌四三年三月一三日、正信を債務者とする占有移転禁止仮処分決定(東京地裁同年(ヨ)第二七二九号)を得て、同月一五日これを執行した(甲一号証の一の到達および仮処分の執行の点は当事者間に争いがない)。

2  建築停止の申入れおよび仮処分と民法一五三条

原告は、右建築の申入れが昭和四二年一二月二三日に被告に到達し、その後六カ月以内である同四三月三月一五日に仮処分が執行されたことにより、正信のため進行中の前記(三、2、C)時効は、その完成前に中断された旨を主張するので検討すると、民法一五三条所定の催告は、一般に、債権者が債務者に対しその債務の履行を請求する意思の通知を意味するものと解されるが、要は、当該意思通知の内容が時効中断事由として捉えられうるようなものであるか否かの点にある(もとより通知者において、時効中断の効果を知りまたはこれを欲することを要するというのではない)。取得時効の中断事由としての催告は、消滅時効の中断事由としてのそれのように端的な形では表現されにくいと考えられるが、本件のように、土地の非所有者との間の賃貸借契約に基づき地上に建物を所有して権利を行使する者があるときは、所有者から当該建物所有者に対し、地上建物を収去してその敷地を明け渡すべき義務の履行を求める旨の意思通知が、その最も完全な形であるというべきであろう。しかし、取得時効の中断事由としての「催告」でありうるためには、必ずしも右のような完全な形式の具備を要するものではなく、終局的にその趣旨を相手方に知らしめるに足るものであれば可とすべきである。

原告主張の催告(甲一号証の一)は、その所有の本件土地につき「先般来町会長を通じ又特に本年一一月一六日には役員と共に親しく貴殿に対し建築禁止を申し入れましたことは御承知の通りであります。然るに、貴殿におかれては当方の申し入れを無視して建築を強行せられようとして居られますことは遺憾至極に存じます。就いて当方の申し入れ通り直に右建築強行を停止せられたく、ここに申し入れます。」というもので、その文言自体からして、間接に建物収去土地明渡しの要求を表現するものと解して妨げないのみならず、右文言中に指摘される前記(二、7および四、1)認定の諸事情を勘案すれば、甲一号証の一(内容証明郵便)は民法一五三条所定の「催告」として欠けるところはないものというべきである。

次に、甲一五号証に見られる占有移転禁止仮処分が建物収去土地明渡しの債務名義の執行保全のためなされるものであることは実務上顕著であるところ、原告はその後同年内に本訴を提起したもので、右仮処分が執行保全のためになされたことはこれにより確証されたものということができる。

3 よつて、AE地につき正信のため進行中の時効は、その完成前の催告およびこれに続く法的期間内の仮処分により中断されたものというべく、原告の再抗弁は理由がある。

五結語

以上により、原告の本訴請求はこれを正当として認容すべきものとし、訴訟費用の負担につき民訴九五条、八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(可部恒雄)

物件目録〈略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例